なぜ今も精神分析が残っているのか――消えなかった思想の歴史
- ロンドン心理相談室
- 2025年12月19日
- 読了時間: 4分
精神分析は、しばしば「古い理論」「20世紀の遺物」と語られます。フロイトが精神分析を体系化したのは19世紀末から20世紀初頭。それから100年以上が経ち、心理学や精神医療は大きく進歩しました。
それにもかかわらず、精神分析は今も実践され、議論され、影響を与え続けています。なぜ精神分析は消えなかったのでしょうか。この問いは、精神分析の正しさよりも、その必要性がどこにあったのかを考える問いでもあります。
目次
精神分析は「最初の心理療法」だった
科学の進歩とともに批判され、生き延びた
理論は分裂し、実践は生き残った
精神分析は「治療」より「理解」を扱った
時代が変わるたびに、精神分析は読み替えられてきた
なぜ今も残っているのか
結びにかえて
1. 精神分析は「最初の心理療法」だった
精神分析は、心理的苦悩を対話によって扱う最初の体系的試みでした。それ以前、心の問題は「道徳の問題」か「身体の病」として扱われることがほとんどでした。
フロイトは、症状の背後に意味があること、そしてそれが本人にも自覚されていない領域に由来することを示しました。
この発想は革命的でした。「人は自分のことを完全には知らない」この前提が、後の心理療法すべての出発点になります。
精神分析は、心理療法の祖としての役割を果たしたため、後続の理論が生まれても、その基盤として残り続けました。
2. 科学の進歩とともに批判され、生き延びた
20世紀後半、行動主義や認知科学が台頭すると、精神分析は「非科学的」「検証不能」と厳しく批判されます。
実際、精神分析の多くの仮説は、自然科学的な方法では検証しづらいものでした。
しかしこの批判の時代に、精神分析は消えませんでした。理由のひとつは、他の理論では扱いきれない領域が残り続けたからです。
・意味のわからない不安・繰り返される関係の失敗・自分でも説明できない感情
これらは、刺激と反応のモデルや、思考の修正だけでは十分に扱えませんでした。精神分析は、その「余白」を引き受け続けました。
3. 理論は分裂し、実践は生き残った
精神分析は一枚岩ではありません。フロイト以降、クライン、ウィニコット、ビオン、ラカンなど、理論は分裂し、対立し、時に激しく論争しました。
一見すると、これは衰退の兆しにも見えます。しかし実際には、理論が分かれたことで実践が柔軟になった側面があります。
精神分析は「唯一の正解」を守る学派ではなく、臨床経験に応じて変化する思想群へと変わっていきました。
この可塑性が、時代の変化に耐える力になりました。
4. 精神分析は「治療」より「理解」を扱った
医学モデルが発展するにつれ、精神医療は診断と治療効果を重視するようになります。
その中で精神分析は、「治す」というよりも「理解する」「意味づける」ことを中心に据え続けました。
この立場は非効率に見えることもありますが、人生全体を扱う際には、今も代替が効きにくい立場です。
症状が取れても空虚さが残る。問題が解決しても満足できない。
こうした問いに対して、精神分析は居場所を持ち続けました。
5. 時代が変わるたびに、精神分析は読み替えられてきた
精神分析は、固定された理論として残ったのではありません。むしろ、時代ごとに読み替えられてきたと言えます。
・戦争後のトラウマ理解・家族構造の変化への対応・愛着や発達理論との統合
精神分析は常に批判され、修正されながら、それでも「人は自分を完全には理解できない」という前提を守り続けました。
この前提が崩れない限り、精神分析の問いも消えなかったのです。
6. なぜ今も残っているのか
精神分析が今も残っている最大の理由は、人間が矛盾した存在であり続けているからです。
合理的に説明できない感情、望んでいないのに繰り返す行動、わかっていても変えられない関係性。
こうした現象が存在する限り、精神分析の問いは意味を持ち続けます。
結びにかえて
精神分析は、万能だから残ったのではありません。批判され、疑われ、時代遅れとされながら、それでも扱われないまま残った人間の経験を引き受け続けたから残りました。
精神分析が今も存在するという事実は、それが正しいからではなく、まだ必要とされているからなのかもしれません。
そしてそれは、人間が今もなお、自分自身を完全には説明しきれない存在であることの証でもあります。
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