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なぜ今も精神分析が残っているのか――消えなかった思想の歴史

精神分析は、しばしば「古い理論」「20世紀の遺物」と語られます。フロイトが精神分析を体系化したのは19世紀末から20世紀初頭。それから100年以上が経ち、心理学や精神医療は大きく進歩しました。 それにもかかわらず、精神分析は今も実践され、議論され、影響を与え続けています。なぜ精神分析は消えなかったのでしょうか。この問いは、精神分析の正しさよりも、 その必要性がどこにあったのか を考える問いでもあります。 目次 精神分析は「最初の心理療法」だった 科学の進歩とともに批判され、生き延びた 理論は分裂し、実践は生き残った 精神分析は「治療」より「理解」を扱った 時代が変わるたびに、精神分析は読み替えられてきた なぜ今も残っているのか 結びにかえて 1. 精神分析は「最初の心理療法」だった 精神分析は、心理的苦悩を 対話によって扱う最初の体系的試み でした。それ以前、心の問題は「道徳の問題」か「身体の病」として扱われることがほとんどでした。 フロイトは、症状の背後に意味があること、そしてそれが本人にも自覚されていない領域に由来することを示しました

精神分析は人生を変えるのか――変わるものと、変わらないもの

精神分析について語られるとき、しばしば二つの極端な評価が並びます。「人生が根底から変わる」という期待と、「時間もお金もかかるだけで効果がわからない」という懐疑です。 精神分析は本当に、ひとりの人間の人生を大きく変えることに寄与するのでしょうか。 この問いに誠実に答えるなら、まずはっきりさせなければならないことがあります。 精神分析は、人生を“魔法のように変える技法”ではありません。 しかし同時に、 人生の「あり方」を静かに、しかし深く変えていく力を持っています。 目次 精神分析が約束しないもの 精神分析が変えるのは「出来事」ではない 人はなぜ、同じところでつまずき続けるのか 「治す」のではなく、「生き方の自由度」を広げる 人生を変えるのは、解釈ではなく「関係」 人生は「別のもの」になるわけではない 精神分析は誰のためのものか 結びにかえて 1. 精神分析が約束しないもの 精神分析は、成功や幸福を保証しません。仕事がうまくいくことも、人間関係が常に円滑になることも、症状が完全に消えることも、必ずしも約束しない。 むしろ精神分析は、かなり冷

なぜ「江戸走り」は人々の心を惹きつけるのか ― 身体と無意識の魅力

近頃、SNSで「江戸走り」が大きな話題になっています。肩を落とし、少し前かがみで走るその独特の姿は、ただのジョギングやマラソンとは明らかに異なる魅力を持っています。なぜ人々は、この奇妙ともいえる走り方に無意識のうちに惹かれるのでしょうか。精神分析的に考えると、そこには現代社会における 身体性の喪失 、 無意識の欲求 、そして歴史的・社会的文脈が絡み合っていることが見えてきます。 1. 身体性の回復としての江戸走り 現代人は、日常生活のほとんどをデジタル空間で過ごすことが増えました。通勤や移動は車や電車、仕事はパソコン、娯楽はスマートフォンやゲーム――こうした生活は、身体の感覚をほとんど使わずに済ませてしまうものです。その結果、筋肉や関節の感覚、体の重心や動きの微妙な調整感覚は鈍くなり、 身体の存在感が薄れる 傾向にあります。 江戸走りの特徴は、肩を落とし、力を抜き、背中を丸めて走る姿勢です。それはこれまで私たちが考えてきた「正しい走り方」とは違います。しかし、ここに重要な意味があります。人々は、「身体を解放したい」「普段使わない筋肉を感じたい」と

発達障害を抱える子どもと心をつなぐ ― プレイセラピーという時間

発達障害を抱える子どもたちは、言葉や行動で自分を表現するのが難しいことがあります。学校や家庭でのコミュニケーションがうまくいかないと、子どもは自分の気持ちを抑え込んだり、行動でしか示せなかったりします。しかし、それは「わかってもらえない心」を持っているからではありません。 子どもは自分なりに世界を理解し、心の中で調整しようとしているのです。 精神分析的心理療法のひとつであるプレイセラピーは、こうした子どもの心の働きを尊重し、遊びを通して支える方法です。発達障害のある子どもにとって、言葉では難しい心の整 理を、安全な遊びの中で体験できる場を提供するのが大きな特徴です。 1. 発達障害と心の特性を理解する 発達障害のある子どもは、感覚の過敏さ、注意の偏り、社会的やり取りの難しさなど、さまざまな特性を持っています。こうした特性のため、日常生活の中で感じるストレスは少なくありません。 たとえば、予想外の出来事や変化に敏感で不安が強くなる、言葉で自分の思いを伝えることが難しい、感情のコントロールがしにくい、といった場面がよく見られます。こうしたとき、子ども

子どもの心は“遊び”で語る ― プレイセラピーというもうひとつの言語

子どもの心は、大人のように言葉で自分を説明してはくれません。「さみしかった」「怖かった」「我慢していた」——そんな気持ちを適切に言語化できる子どもはほとんどいません。けれど、子どもたちは何も語らないわけではありません。 彼らには、彼らだけの“話し方”がある。 そのもっとも典型的な形が、 プレイ(遊び) です。 精神分析的な子どもの心理療法、いわゆるプレイセラピーは、まさにこの「遊びを心の言語として聴く」営みです。そこには、大人のカウンセリングとはまったく異なる、子どもの世 界だけが持つ奥深さがあります。 1. 子どもにとっての“プレイ”は、単なる暇つぶしではない 大人は「遊び」を日常の息抜きとして扱いますが、子どもにとっては違います。 遊びは、世界を理解し、自分を調整し、心を守るための方法です。 例えば、何度も同じ戦いごっこを繰り返す子がいるとします。大人から見るとただの「戦い」かもしれません。しかし精神分析的に見ると、それは 負けることの不安、勝とうとする願望、攻撃性への罪悪感、力を持ちたいという希求 など、複雑な心の動きを処理する試みかもし

人が心を語るということ ― AI時代における精神分析の価値

1. 正しさでは届かない領域がある AIが驚くほどの速度で知識を提供し、私たちの疑問に即座に答えを返してくれる時代になりました。必要な情報はほとんど検索でき、データをもとに感情を「推測」することもできるようになっています。 しかし、人が抱える感情の多くは、“正しい答え”によって解決されるものではありません。 悲しみが必ずしも理由を必要としないように、怒りが必ずしも言葉で説明できるわけではないように、心の重さには「正解」という形がそもそも存在しないのです。 精神分析が向き合うのは、この“答えのない領域”です。そこでは、因果関係やデータによる推論よりも、 語りの揺れ、沈黙の重さ、ふと漏れる感情の断片 が、何よりも重要な意味を持ちます。 AIが扱うのが“情報”だとすれば、精神分析が扱うのは“人間そのもの”の揺らぎなのです。 2. データでは測れない“曖昧さ”に価値が宿る AIは曖昧さを嫌います。曖昧さは精度を下げ、予測を鈍らせるからです。 しかし、精神分析は違います。曖昧な感情、説明のつかない不安、答えを拒む沈黙――そう した混沌こそが、心の“本質に近

心の陰影に触れる ― 精神分析という静かな心の探求

1. 言葉になる前の“情緒の地層” 人の心には、ゆっくりと堆積した情緒の地層のようなものがあります。日常のなかではほとんど意識されませんが、ふとした瞬間にその層が動き、理由のわからない不安を呼び起こしたり、言葉にならない苛立ちを生み出したりします。 私たちは一般に、感情は「自分の意思や意識がつくるもの」だと思いがちです。しかし実際には、心の動きの多くは 無意識下で進行し、意識がそれを追いかける形 で現れます。フロイトが指摘したように、無意識は意識よりもずっと広大で、そこで生まれた衝動や願望は、さまざまな形に姿を変えて表に現れます。 またクラインの理論に照らせば、私たちは心の中で「扱いきれない感情」を他者に投げ込んだり、逆に他者からの影響を自分の一部のように取り込んだりします。こうした心の動きは自覚されないまま起こるため、ときに私たち自身が「なぜこんなふうに感じるのか」わからなくなってしまうのです。 これらの微細な動きは、表面的には見えません。しかし確かに“心の最深部から響いている何か”として存在しています。 2. 理解しようとすると、かえって曖昧

HSPとアダルトチルドレン ―「敏感さ」と「家族の力学」が交差するとき

HSP(Highly Sensitive Person)とアダルトチルドレン(AC)は、同一の概念ではありません。しかし、精神分析的な視点で心の背景を辿っていくと、両者が“交わりやすい領域”を持っていることが見えてきます。 HSPは本来、生得的な敏感さの特性です。一方、アダルトチルドレンは、家庭環境や親子関係の中で身についた対人パターンに由来します。  異なる出発点を持ちながら、人生の中で重なり合うことがある ――ここに両者の「関連性」があります。 1|HSPの「敏感さ」は、育つ環境に影響されやすい HSPは、生まれつき感覚・感情・他者の反応に対する受容度が高い傾向があります。精神分析的にいえば、 初期から繊細な刺激処理を行う“器官”を備えている と言えます。 この器官は、環境が落ち着いていれば豊かな洞察力や優れた共感性として機能します。しかし、環境が不安定であった場合、敏感さは「安全を確かめるためのアンテナ」として働きやすくなります。 ここで、アダルトチルドレンが形成される家庭環境とHSPの敏感性が接点を持ちはじめます。 2|アダルトチルドレン

HSPのカウンセリングプロセス ― 繊細な心が回復していく道のり

HSP(Highly Sensitive Person)の方が「生きづらさ」を抱えたとき、精神分析的なカウンセリングの場は、敏感さを否定したり矯正したりする空間ではありません。 むしろ、その敏感さを“心の固有の構造”として理解し、その人の心がより自由に働くための場となります。  ここでは、HSPが精神分析的なプロセスを通してどのように生きやすさを取り戻していくのか――その道のりを辿ってみます。 1|最初のステップ:敏感さを「症状」ではなく、心の働きとして理解する HSPの方はしばしば「気にしすぎ」「弱い」と自分を責めてカウンセリングに訪れます。 カウンセラーはまず、この前提を静かにほどいていきます。 敏感さとは、心の“受容と処理の仕組み”が繊細に働いている状態です。 これは単なる気質ではなく、生き延びるために発達した能力でもあります。 カウンセリングは、「自分を責める状態」から「自分の心を理解する状態」へと移る転換点となります。 2|心の負荷を減らす ― 外界と内界の“刺激量”を整える HSPの苦しさの多くは“刺激過多”に由来します。 ここでいう

HSPを精神分析的に理解する ―「感じすぎる心」が語るもの

HSP(Highly Sensitive Person)という言葉は、いまや多くの人の耳に届くようになりました。その一方で、「気にしすぎ」「繊細すぎ」という誤解を受けることも少なくありません。しかし精神分析の視点から見ると、HSPは単なる「性格の傾向」ではなく、心が経験を処理する方法の特徴として理解することができます。ここでは、精神分析の考え方を土台にしながら、HSPの心がどのように働いているのかを、できるだけやわらかくお話ししていきます。 1.刺激を“細かく拾ってしまう”心のメカニズム 精神分析では、人は外界からの刺激をそのまま受けとるのではなく、一度「心のなかの装置」に通して処理すると考えます。この装置がうまく働くと、刺激は整理され、考えることができる経験へと変わっていきます。 HSPの方は、この刺激を拾う“網”の目がとても細かいのだと言えます。表情の変化、声のトーン、場の空気の緊張――それらを無意識のうちに詳細に読み取ってしまう。ただ、その「細かさ」は多くの場合、生まれつきの気質であり、欠点ではありません。むしろ感性の豊 かさや共感性の高さ

HSPのタイプ別にみる ― 精神分析的に読む「繊細な心」のかたち

HSP(Highly Sensitive Person)という言葉が広く知られるようになってから、さまざまな人が「自分もそうかもしれない」と感じるようになりました。しかし、精神分析の視点から見ると、HSPとひとくちに言っても、その「繊細さ」の表れ方には複数のタイプがあります。 それは、心がどのように外界を受けとめ、どのように自分を守り、どのように他者と関わろうとしているのか――その“スタイル”が異なるからです。 ここでは、精神分析の枠組みを使いながら、HSPの特徴をいくつかのタイプにわけて読み解いてみたいと思います。ただし、どれかひとつにきれいに当てはまる必要はありません。 多くの方は複数のタイプを合わせ持っており、その組み合わせが“あなたの心の質感”をつくっています。 1.「観察者タイプ」― 世界を丁寧に読み取る人 このタイプのHSPは、周囲の細かな変化を見逃さず、空気の動きまで読み取るような感性を持っています。 精神分析的には、心が外界に対して“絶えずアンテナを伸ばしている”状態だと言えます。 特徴的な心の動き 他人の表情のわずかな揺れに気づ

アダルトチルドレンと “親との関係の再編集”――過去は書き換えられないけれど、読み方は変えられる

1. 「親の物語」に囚われるということ アダルトチルドレンが大人になっても生きづらさを抱える背景には、 “親との関係が心の内側に生き続けている” という事実があります。 子どもにとって、親の態度は世界そのものでした。親が忙しかったり不安定だったりすると、子どもは世界を「自分の価値」によって説明しようとします。 「気を使えば安心してもらえる」 「迷惑をかけたら嫌われる」 「自分が悪いから怒られたのだ」 こうした“物語”は、生き延びるために必死につくられたものであり、大人になっても自分を縛り続けるレンズになります。 2. 再編集とは、親を許すことでも美化することでもない 精神分析でいう再編集は、 過去を都合よく塗り替える作業ではありません。 むしろ、 当時何が起きていたのか そのとき自分はどう感じていたのか どんなふうに耐え、生き抜いたのか これらを改めて“そのまま”見つめ直す作業です。 再編集とは、 昔の自分が生き延びるために作った物語を、いまの自分の視点で読み直すこと。 それは冷静になるというよりも、“凍っていた感情”を少しずつ解凍していく作業

苦しさが戻ってきたとき――アダルトチルドレンのための精神分析的視点

アダルトチルドレンの人が精神分析を進めていくと、心の内側に少しずつ変化が生まれていきます。 過度な緊張が和らぎ、相手に合わせすぎる癖が弱まり、「自分はどう感じているのか」が以前よりはっきりしてくる。 しかしその途中で、突然、かつての苦しさや混乱が再び姿を見せることがあります。 過剰な敏感さ 相手に捨てられるのではという恐れ 無意識に相手を気にしすぎる癖 理由の分からない焦りや不安 こうした“古い反応”が急に戻ってくると、多くの人は戸惑い、 「やっぱり自分は変われていないのではないか」 と感じるものです。 しかし精神分析の視点では、この“揺り戻し”は後退ではありません。むしろ、変化のプロセ スに欠かせない自然な動きとして理解します。  1. アダルトチルドレンの変化は特に「波のように」進む アダルトチルドレンの背景には、子どもの頃の関係で形成された深いレベルの対人パターンが存在します。 「自分を消して相手に合わせる」「見捨てられないよう全力で気を配る」「本音より相手の期待を優先する」 こうしたパターンは長年の生存戦略でもあったため、完全に消えるので

アダルトチルドレンー変化のあとに、静かに立ちあがる「自分という感覚」

アダルトチルドレンを精神分析的に理解し、その癒しのプロセスを見つめると、一つの疑問が自然と浮かんできます。 「では、変化のあとには何が起こるのか」 心のしこりがほどけ始め、防衛が少しやわらぎ、過去と現在の切り分けが進む―― この段階を越えると、人はゆっくりと“変化の後”の領域へ足を踏み入れていきます。しかしその領域は、多くの人が想像するような劇的で華やかな世界とは限りません。 むしろ、そこにあるのは 「自分という感覚が、ようやく手触りを持ち始める時間」 といった静かな景色です。  1. 空白が訪れることがある 変化が起こると多くの人は、新しい自分がすぐに動き出すと期待しがちです。しかし実際には、変化の直後ほど一種の「空白」に出会うことがよくあります。 長年続けてきた生き方や対人パターンは、たとえ苦しいものであっても人を支えていた“枠組み”でした。 それらが少し弱まると、支えが減ったように感じるのは自然なことです。 この空白は、後退でも停滞でもありません。むしろ、 新しい支えを内部に作り始める前の、必要な余白 として現れます。  2. 選択の幅が広

アダルトチルドレンー心がほどけていく場所、精神分析という癒しの道のり

アダルトチルドレンを精神分析的に理解するとき、私たちは「心がどのように生き延びてきたか」という物語に触れます。そして、その物語がどのように書き換えられていくのか、つまり、 癒しのプロセス が大切です。 精神分析の癒しは、感情を“消す”ことでも、過去を“忘れさせる”ことでもありません。 むしろ、 心がかつての自分を受け入れ、その痛みや願いを、静かに、ゆっくりと抱き直していくこと。 その道のりは、とても人間的で、深く、繊細なものです。  1. 「語れなかったこと」に言葉が生まれる 精神分析の旅は、多くの場合、“うまく言葉にならない気持ち”から始まります。 胸がざわつく。理由もなく疲れる。人といるだけで緊張する。感情が消える。 これらは、単なる症状ではなく、語りたかったけれど語れなかった“心の断片”です。 分析の場では、急ぐ必要も、正しい言葉を選ぶ必要もありません。 ぽつり、と漏れた言葉を手がかりに、心は少しずつ自分の声を取り戻していきます。 まるで、長い間沈黙に覆われていた部屋にやわらかな光が差し込むように。  2. “理解される”という経験が、心を

アダルトチルドレンを精神分析的に理解する ―「心が生き延びるための物語」

アダルトチルドレンという概念は、精神分析の言葉で言えば、 「子どもの心が、生き延びるために作った対処法(防衛)」が、大人になっても続いてしまう状態 と捉えることができます。 精神分析は、人の心を「症状」としてではなく、“意味のある表現”として読み解く学問です。アダルトチルドレンの特徴も、ただの“弱さ”ではなく、 かつての家庭環境の中で必要だった心の努力の痕跡 として理解されます。 1. フロイト:抑圧された感情が大人のパターンを作る フロイトの観点では、機能不全家族で育った子どもは、親との関係の中で感じるはずの怒り・悲しみ・寂しさを表現できず、 強力に抑圧する ことがあります。 怒ったら愛されない 泣いたら迷惑をかける 本音を言ったら傷つく こうした学習は、無意識の深い層に沈み込み、大人になっても“自分の感情がわからない”“過度に我慢する”といったパターンとして現れます。 不安や緊張は、抑圧された感情が外へ出ようとする際の“警報”なのです。 2. メラニー・クライン:心の内なる「良い対象」と「悪い対象」 クラインは、人の心には幼少期に形成された「

なぜ、不安に襲われるのか

胸の奥で突然ざわめき、心が理由もなく締めつけられる――その感覚が、不安です。日常に突然現れる影のような存在、不安は誰もが経験するものですが、フロイトはその正体を、心の奥深くに潜む無意識の世界に求めました。 ■ 無意識に潜む願望と衝動 フロイト(1856–1939)によれば、人の心は二層構造のようになっています。意識の下にある無意識には、私たち自身も知らない衝動や欲望、恐れが潜んでいます。 不安とは、無意識に抑圧された衝動が、意識に迫るときに発せられる 警報のような信号 です。例えば、社会の規範や道徳のために押し込めた怒りや欲望が、直接表現できないまま心の奥でうごめき、胸のざわめきや落ち着かない感覚として現れるのです。 つまり、不安を感じるとき、心は「ここに抑えられた感情がありますよ」と知らせているのです。 ■ 抑圧と防衛のはざまで フロイトはまた、人が不安を感じるのは、心が自分を守ろうとする働きと関係していると考えました。私たちは無意識の衝動を直接出すことができないため、心は 防衛機制 を働かせます。 しかし、防衛が完全でないとき、不安は表に出て

なぜ、夢を見るのか⑤ ― オグデンの精神分析から考える

夜、光が消え、世界が静まりかえったあと、人の心はゆっくりと、別のかたちで動きはじめます。その動きは“考える”とも言えず、“感じる”だけでもなく、もっと曖昧で、しかし確かに生きている。 精神分析家オグデン(1946- )にとって、この曖昧な動きこそが「夢見ること(the capacity to dream)」であり、人が精神的に生きていくために欠かすことのできない営みでした。 ■ 夢は睡眠中だけに起きるものではない オグデンは、夢とは「眠っているときに見る映像」という狭い意味では捉えません。 夢見ることとは、 心が自分の経験を“生きられる形”へと変換する働きそのもの だと考えました。 私たちの心には、うまく言葉にならないまま飲み込まれた経験や、未整理の感情、説明のつかない痛みがたくさんあります。それらは生のままでは重すぎて、意識の中で扱うことができません。 夢見ることとは、そうした“生の経験”に象徴を与え、断片をつなぎ、物語のかたちへ変えていく心のプロセスなのです。 それは睡眠中だけでなく、覚醒しているときにも密かに働いている、人が「生き延びるため

なぜ、夢を見るのか④ ― ビオンの精神分析から考える

人は眠りに落ちると、日中では捉えきれなかった感情や記憶がふわりと浮かび上がってきます。夢の中には意味の分からない光景もあれば、妙に胸を締めつける瞬間もある。目覚めたあとに残るあの不思議な余韻は、一体どこからやってくるのでしょうか。 精神分析家ウィルフレッド・ビオン(1897-1979)は、この「夢」という現象に対して、フロイトとはまた別の角度から光を当てました。 ■ 夢は「考えるための器官」 ビオンの考えでは、夢は単なる夜の物語ではありません。もっと根本的な、「 考えるという心の働きを生み出すための装置 」だというのです。 私たちは日中、さまざまな刺激を受け取ります。言葉にならない怒り、不意に起こる不安、よく分からない重さ。ビオンはこうした“生の感覚”を β(ベータ)要素 と呼びました。β要素はそのままでは処理できず、ただ心の中に重く沈んでいくものです。 しかし、眠りにつくと心の仕組みがゆっくり動き出し、このβ要素を“噛み砕いて”意味のあるものへと変えていきます。これを α(アルファ)機能 と呼び、ここで生み出される“消化された心的素材”が

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