人が心を語るということ ― AI時代における精神分析の価値
- ロンドン心理相談室
- 2025年12月17日
- 読了時間: 4分
1. 正しさでは届かない領域がある
AIが驚くほどの速度で知識を提供し、私たちの疑問に即座に答えを返してくれる時代になりました。必要な情報はほとんど検索でき、データをもとに感情を「推測」することもできるようになっています。
しかし、人が抱える感情の多くは、“正しい答え”によって解決されるものではありません。
悲しみが必ずしも理由を必要としないように、怒りが必ずしも言葉で説明できるわけではないように、心の重さには「正解」という形がそもそも存在しないのです。
精神分析が向き合うのは、この“答えのない領域”です。そこでは、因果関係やデータによる推論よりも、語りの揺れ、沈黙の重さ、ふと漏れる感情の断片が、何よりも重要な意味を持ちます。
AIが扱うのが“情報”だとすれば、精神分析が扱うのは“人間そのもの”の揺らぎなのです。
2. データでは測れない“曖昧さ”に価値が宿る
AIは曖昧さを嫌います。曖昧さは精度を下げ、予測を鈍らせるからです。
しかし、精神分析は違います。曖昧な感情、説明のつかない不安、答えを拒む沈黙――そう
した混沌こそが、心の“本質に近い領域”だと捉えます。
ビオンが「思考以前の情緒」と呼んだような曖昧さ。クラインが語った、扱いきれない感情の投影。ウィニコットが大切にした、言葉にならない内的な揺らぎ。
精神分析は、こうした“未整理の素材”をそのまま受け止め、急いで分類したり、早まって意味づけたりはしません。
AIが曖昧さを排除して「整える」のに対し、精神分析は曖昧さをそのまま尊重し、その曖昧さの中にこそ、心の真実が潜んでいると考えるのです。
3. 耐えるという行為を、誰かが共に引き受けるということ
AIは大量のデータを処理できます。しかし、人の「痛み」を実際に耐えることはできません。
痛みを“把握”することと、その痛みを“共に体験する”ことは、まったく違う営みです。
精神分析は、言葉にならない苦しさを理解し、適切な回答を返すのではなく、その苦しさが語られる場を保ちながら、共に耐え続けることに価値を置きます。
この“耐える”という地味で静かな作業は、アルゴリズムでは代替できません。
なぜなら、それは「相手の感情にどれだけ触れたか」「どれだけその重さを身体で受け止めたか」によって成立する人間的な関わりだからです。
心の変化は、理解よりも“関係”によって生まれます。そこに精神分析の核があります。
4. 変化は、答えによってではなく“体験”によって起こる
AIに質問すると、数秒で多くの“知識”を得られます。しかし、精神分析で起こる変化は、知識では説明できません。
ある記憶に別の意味が生まれたり、長く絡みついていた不安が少し和らいだり、自分の感情が想像よりも“悪ではなかった”と気づいたり。
これらはすべて、誰かに聴かれ、見守られ、誤解されないまま語り続けるという体験の産物です。
変化は、正しい答えではなく、関係の中でゆっくり熟成していきます。
AIが提供するのは「情報」で、精神分析が生み出すのは「変容」です。この二つは、とてもよく似ていて、しかし決定的に異なっています。
5. AIの時代だからこそ、“人が人の心に触れる”ことの意味が増す
テクノロジーが進歩すればするほど、人が抱える孤独はむしろ鮮明になります。
自分の痛みが正確に説明されても、それだけでは心は軽くならない。アルゴリズムに最適化されても、それだけでは安心できない。
精神分析の価値は、“正しさ”や“効率”では計れないところに宿っています。
曖昧さを排除しない
感情の揺らぎに耳を澄ます
言葉にならない痛みに付き添う
共に耐える
その人の物語が自然に語られるのを待つ
これらは、人間だからこそできる営みです。
AIが“心の周辺”を扱うなら、精神分析は“心の中心”に触れようとします。
その違いは、派手ではありませんが本質的です。
6. 心の深部に触れるという、最も古くて最も人間的な行為
AIがどれだけ発達しても、人の心から不確かさが消えることはありません。
そして、その不確かさこそが、人間らしさの源でもあります。
精神分析は、人の心の複雑性や矛盾、曖昧さを否定しません。むしろ、その豊かさを深い敬意を持って扱います。
AIが合理性を象徴するなら、精神分析は人間の「生の複雑さ」を象徴しています。
テクノロジーが進むほど、この古い営みはますます静かに輝きを放つのかもしれません。
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